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ひよっこ2特別編に寄せて

放送されましたね。

春に放送された時に、初めての接客に疲れ切ったみね子の顔を見て
「フルマラソン完走して、更にメダルを取れなかった顔」と評する省吾さんを見て
「円谷か(メダル取らはったけど金じゃなかったことに苦しみ抜いた悲劇のアスリート)」
と朗読劇の演目に想いを馳せました。
今回「インスタントラーメンの発明のお陰で商売上がったり!」と嘆く中華屋の親父さんを見て、
「福翠楼の仇討ち!」と「麒麟が来る」での秀吉役に想いを馳せた。
(正直私もラーメンといえばインスタント。冷麺はお店で食べるけどね。)
ついにそのお役を演じられる日が来たんですね。

そして、鈴子さん。

いぶき鑑賞後のひよっこ2再放送で、そうか、あの人は鈴子さんやったんやなという知人がいる。
全然親しくしていた訳ではないが、大阪の一等地に自社ビルを構えて、その最上階が鈴子さんのお住まいで、
1階は息子さんが経営するビストロやった。
「時には父のない子のように」の自社ビルの描写とすごく似通っていて、観劇当時ドキッとした覚えがある。
(所在地を言えばテレビ関係者の人は「ああ、あそこか!」とピンとくる所で、遊び心のある鈴子さんはビルの一角をよく関西製作の刑事ドラマのロケに提供していた。よく死体発見現場に使われてました(笑))

いぶきと鈴子さんを繋げるものはやはり戦争で、鈴子さんは「この辺り一帯焼け野原やったよ」と話してくれはった。
「身内に体験者がいます」と答えたことで、ベタベタに親しくなったわけではなかったけれど、何か壁が消えたような気がした。
言葉で具体的に語られたのはそれくらいのものやったけど、「ちょっとだけおしゃべりしましょう」と誘われるようになり、ある夏に珍しく胸元の開いたブラウスを着てはった鈴子さんから、私は言葉の外の真実を感じ取った。
たぶん鈴子さんは省吾さんくらいの年代やと思うのだけれど、顎の下から古い傷がのぞいていた。

その傷は、そのブラウスの下のどこまで続いていたのか。
何十年と経っていても、それはとても深く大きく、何より私を戦慄させたのは縫合とか一切の治療痕がなかったことやった。
よくそこまでの深手を負って、自己治癒力で生き延びはったことよ。
もちろんお風呂にも入れない、回復に必要な栄養も摂れない環境下で。
(経験しないと分からないけど、そのレベルの傷を追ったら、戦時下でない現在でも普通に1ヶ月くらい風呂には入らせてもらえません。)

阪神淡路大震災で限られた区域がああなっただけでも、半年経っても着の身着のまま徒歩で大阪まで辿り着いて治療を請う人々が殺到したという。
戦争では日本全土がそういう状態になる。
ネットもゲームもコンビニもぜーんぶ使えなくなる上に、死ぬような傷を負っても救急車も来てくれないよね。

だから、今戦争を防いでくれている人々に感謝を惜しむべきではないと考えてる。
そういう人々が居る、ということを伝えてくれる「空母いぶき」を描いてくれた、製作してくれた全ての人々にありがとう、ですよ。
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