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ゼロの真実 最終話 [佐々木蔵之介]

やっぱし印田センセはあったかいお節介焼きだった。
クィーン・オブ・インデン?勢いだけのダメ英語やな、いっちゃん。
女王様!と言いたい気持ちはわかるけど(笑)
大阪なら100円自販機あるでー。

8年前、真実を伏せた印田センセの判断は正しかったと思う。
そして、姉妹の惨劇の真実を暴いた松本も正しかったと思う。
図らずも妹を殺してしまった罪の重さが、姉の精神を完全に蝕む前に
受刑という救済を与えられたのだし。

いつだって、人はその先のことを考えなければ。
「人生はやり直せる」は、とても光を感じる優しい言葉だけれど、正味
やり直すより道はないねん。他に出来る事ない。

どーでもいいような回想場面で泉澤部長が無駄にイイこと言ってましたね。
「死は生の延長線上にあるだけで、生と死の間は紙一枚より薄い。
生と死は実は限りなく近いものなんだよ[ぴかぴか(新しい)]

人間は生は曖昧な捉えどころのないもので、死は厳然たる確かなものと認識してる。
だから死を解放と捉えたりもするのだけれど、それは所詮他者からの、
生きてる者からの視点で、思い込みに過ぎない。

ようあるやん?死んだ事に気付かなくて地縛霊になった、とかいう怪談。
自分の身に置き換えて、病気とかですごくお腹が痛くて苦しんで死んだとしても
死んで体との繋がりがなくなって、痛みが消えた瞬間、果たして自分は「死んだんや」
と自覚出来るか?と考えた場合、痛みが消えたら「あ、腹痛治った。よかった~」って
思ってまうやろなって。
「これは死ぬな」って大事故に遭っても、「うそ~夢やろ?」って先ず考えてしまうと思う。
そもそも魂が存在して、死後の事を認識出来るのか否かも不明だし。
この瞬間に私は死んだぞ!って確認出来る人なんて、ほぼ居らんのちゃうかな。
個人にとって生と死は同等に不確かなものなのだ。

ただ、あくまで個人的になら、それを確かにする方法はあると思う。
習得出来ればきっと、個人にとっての生と死は同等に確かなものになるんちゃうかな。
昔の日本人が極めようとした"武士道”には、その方法にとっても近い匂いがします。
ただの勘ですけども(笑)。

レクター小杉の告白からは偽証の匂いがしましたが、続編はありますか?
金銭を賭けない賭けにも「ギャンブルか」と目の色が変わるいっちゃん。
上手いぞ松本真央!金使わんギャンブルでも十分楽しめるのよ、人生は。
とゆーか、たいがいの人がそうしてるねんし(笑)
そういう賭けの続きが見たい。
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